1845年幕末の山口県の大地主の家に生まれた中務茂兵衛義教(なかつかさもへえぎきょう)は、四国88ヵ所を279回と87ヵ所を巡拝、この功績にはこれまでもこれからも誰もたどり着けそうにありません。
茂兵衛は88度目の巡拝を機に四国各地に標石を建てるようになり、現在243基の標石が四国各地で確認されており、前山ダム管理事務所近く、県道3号と花折峠遍路道の分岐点に立っているものは明治から大正に年号が変わる直前の1912年242度目の巡礼に際し、岡山駅が出資して建てられたという記載があります。
1845年幕末の山口県の大地主の家に生まれた中務茂兵衛義教(なかつかさもへえぎきょう)は、四国88ヵ所を279回と87ヵ所を巡拝、この功績にはこれまでもこれからも誰もたどり着けそうにありません。
茂兵衛は88度目の巡拝を機に四国各地に標石を建てるようになり、現在243基の標石が四国各地で確認されており、前山ダム管理事務所近く、県道3号と花折峠遍路道の分岐点に立っているものは明治から大正に年号が変わる直前の1912年242度目の巡礼に際し、岡山駅が出資して建てられたという記載があります。